雲のジュウザ名言集
− 外柔内剛(外柔) −
「だがひとつ忘れてるぜ! まれにみる美男子ってことをな!!」
悪党相手に、この余裕の発言。
ジュウザの闘いに、決して悲壮感は感じられない。
日本では謙虚が美徳とされているが、嫌味なく、サラッと言ってのける。
こんなキザなセリフもジュウザなら、何の違和感もないのだ。
ちなみに、このセリフ、私も私生活でよく使わせてもらっている。(笑)
「フッ・・・フハハハハ このジュウザ負けたわ!!」
ジュウザの恋敵ケンシロウが、南斗六聖拳最後の将に会いにいくのを中断し、
窮地に陥った山のフドウを救出したのを見ての発言。
愛する者への想いを胸に秘め、あくまでも柔和な態度を貫く。
それがジュウザの潔い生き方である。
− 外柔内剛(内剛) −
「ならば試してみるがいい!! わが拳に一点の曇りがあるかどうかをなぁ!!」
ラオウをもってして「闘気 覇気 いささかも衰えておらぬ!!」と言わしめた
ジュウザの拳。それは技術の問題ではなく、愛の力によって心が蘇ったがゆえに、
拳の力も蘇ったのである。
「わが将のためにこの場に拳王! おまえを葬ろう!!」
愛する者のために強大な敵に立ち向かう。
そこに勝てるかどうかの計算はない。
守らねばならぬという愛する者への強い想い、つまり内面的な強さが
そこにはあるのである。
− 縦横無尽 −
「おれは雲のように自由きままに生きる」
自由とは何か?
それは好き勝手な振る舞いのことではない。
なぜならば、それは単なる欲望の奴隷であり、
自己の願望に縛られる不自由である。
雲は、風の流れるままに縦横無尽に移動し、形を一定にとどめることはない。
つまり、究極の自然体なのである。
そこに自由の本質があると私は考える。
しかし、我々のような凡人は、努力なくして自由を得ることはできない。
それはジュウザのような天才のみがなせる生き方なのである。
− 変幻自在−
「わが拳は我流 我流は無型!! 無型ゆえにだれにも読めぬ!!」
物事に熟達するためには、先人のマネをする必要がある。
それを集約し、理想を追究すれば、そこにはある一定の型が生じる。
同じ技量の熟練者同士の競い合いは、その型の範囲内での読み合いとなる。
しかし、ジュウザの変幻自在の拳の前には、そのような読みがマイナスとなる。
だが、防御の弱点を突かれ、最終的に秘孔「鏡明」を突かれ、ラオウに敗れてしまう。
もし、ジュウザが北斗神拳を学んでいたら、つまり型を学んだ上で、
無型の拳を駆使していたら、ラオウを上回る拳の持ち主になっていたかもしれない。
− 臨機応変 −
「ラオウ!! これでもくらえ ハハハ」(と言って手で自分のお尻を叩く)
漫画史上において、最強最大の敵に対し、
これほどまで侮辱的な行為をした男がいたであろうか?
決着を前にして、敵前逃亡したばかりか、このような行為をしてしまう。
行為だけみれば、明らかにそれは姑息である。
しかし、それも愛する者を守るがゆえのやむ終えない臨機応変な判断である。
その一方で、それは拳法家としては、不本意な選択でもある。
だからこそ、ラオウはジュウザが戻ってくることを確信し、
ジュウザは命を捨てる覚悟でラオウのもとに戻ったのであろう。
愛する者のためなら、拳法家としての誇りをも捨ててしまう。
それがジュウザの生き方である。
− 不惜身命 −
「やはりこの命捨てねばなるまい・・・」
シチュエーションを加味すれば、私が最も好きなジュウザの発言である。
ラオウの拳により、傷ついたわき腹を押さえた状態で、己の命をも惜しまない
このような発言は、非常に重く、かつ感動的である。
− 背水の陣 −
「我が拳の真髄は背水!! 防具があってはそこに油断甘えが生ずる!!
ラオウよ・・・生か死かどちらかしかない背水の拳の威はきさまが一番
知っていよう!!」
2つの選択肢がある場合、たとえ失敗しても、もう一方の道がある
という気持ちの緩み・油断・甘えが原因で、困難を乗り越えることが
できなくなるかもしれない。
しかし、もし困難な道しかなく、選択の余地がない場合、
そこで悩んだり迷ったりすることは無意味であり、
いかにそれを乗り越えるかを考えざるおえない。
そこで絶対に乗り越えるという気迫をもって望めば、困難を乗り越える
可能性は高くなり、不可能に思えることも、可能となる。
背水の陣は、人間の秘めた可能性を引き出す秘術である。
− 玉砕覚悟 −
「(命を)ただでは捨てぬ おれは淋しがり屋でな・・・・・・
きさまを道連れにして行く!!」
人は誰でも心にさびしさをもっている。
言い換えれば、それは心の弱さである。
その弱さを補うために、人はお互いに助け合って生きていく。
しかし、ジュウザは違う。
己が砕け散る覚悟で、最強の敵に立ち向かう心の強さがある。
ジュウザのさびしさは、愛する者への想いであり、
それは決して満たされることがないものである。
満たされない想いを心に秘め、命を捨ててでも闘う強くて
哀しい漢(おとこ)、それがジュウザである。
「めいどのみやげに腕一本もらっていくぞ!!」
北斗の拳で、1度だけ関節技が登場する珍しい場面。
しかし、残念ながらラオウの豪腕を折ることはできなかった。
だが、「撃壁背水掌」によって、南斗の拳士の中で唯一ラオウに傷をつけ、
腕を取ることによって地に倒してしまったその実力は、かなりのものだといえる。
− 確固不抜 −
「け・・・拳王の・・・ク・ソ・バ・カ・ヤ・ロ・ウ・・・」
拳王ファンには悪いが、ジュウザの発言の中でも、かなりの名言だと
私は思っている。
「クソ馬鹿野郎」などという言葉は、表面的には非常に汚い言葉である。
しかし、瀕死の状態で、ラオウに秘孔「解唖門天聴」を突かれ、
意志とは関係なく口を割り、逆らおうとすればその肉体は毛根にいたるまで
血を噴き出して崩壊するという状態で、強靭な精神力をもって、己の意志に
従って発言したこの言葉には、感動すら覚える。
しかも、このような悲壮感を感じない言葉を選ぶジュウザの型破りなセンスに、
私は非常に共感を覚えた。
最も汚い言葉も、シチュエーションによっては、名言になり得るのである。
「おれは雲! おれはおれの意志で動く ざまあみたかラオウ!!
おれは最期の最期まで雲のジュウザ!!」
ジュウザが壮絶な死を迎える際の言葉であり、名言中の名言である。
もはや、解説の必要はあるまい。(涙)
「敵ながらみごとであったジュウザ!!」(ラオウ)
− 雲のジュウザ名言集・エピローグ −
残念ながら、ジュウザの死後、ラオウは、ケンシロウより先にユリアに
出会ってしまった・・。
しかし、ジュウザよ、あなたの死は決して無駄ではない。
あなたの生き方は、ジュウザファンの心に深く刻み込まれた。
我々はあなたの生き方を尊敬し、それを目指し、そしていつか本当に大切なものが
失われそうになった時、己の命をなげうってでも、それを守るであろう。
雲のジュウザは決して死んではいない。
多くの者の心に、今も生き続けているのだ。
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